最近観た映画映画は、ある人が、人に見せるために作った映像の集まりであり、物語が多い。 物語らしい物語がない場合もあるが、それでさえ作者のなかには何らかの物語、語りがあるのではないか。 映像と物語。 最近見た映画というのは、「罪の声」。実際にあった事件を題材にしたサスペンスというかミステリーというか、そんな感じかなと期待して見たのである。 その事件はマスコミで大きく取り上げられ、証拠を多いのだが、犯人グループは捕まっていない。 だから、想像的な部分が多く入るとしても、残された証拠多い分、その想像は、かなり的を射ていたと思う。 とはいえ、映画としての流れや筋の組み立ては、とても単調で、よくある人情ものになってしまっていた気がする。 映画を見ている気が、実はしなかった。テレビのドラマを見ている気がした。 ハリウッド映画に慣れた僕としては、大いに物足りなく、残念だった。 特に、その描き方。その事件は、人々の口に入る食品が大量に生産され、消費者には嬉しい反面、不安も増える時代の始まりだ。 その不安が的中したようなというか、犯人グループはそこの隙間を突いてきた。 時代の変化を映像で取り入れたほしかった。 例えば、大型スーパーの商品の陳列や人込み、自動化されてゆく食品の生産過程などの映像を織り交ぜてほしかった。 そしてさらには、身代金の受け渡しに使われた電車。そこでのリアルさと躍動感が、本当になかった。 この大量消費と自動化、都市に張り巡らされた電車網を、切り口され工夫すれば、かなりの切迫感と、時代を醸し出せた気がする。 時代への映像での挑戦がないから、一つ家族に訪れた不幸というホームドラマに堕していた。 なんと残念。 |