集中という「時間」


急いでいるときの車の運転は危険である。
よく言われることであり、経験上、僕も大いにそれに同意する。やめた方がいい。
その流れで言うと、急いでいるときの信号待ち、これは、とても長く感じる。
逆に、好きな曲とかがラジオから流れ、つい聴き惚れていて、信号が青に変わったことにも気づかず、後ろの車からクラクションを鳴らされることもある。
前者は、なんでこんなにこの信号は長く、何時間も待たされているような錯覚を持つ。後者は、あっ、もう変わったしまったか、、となる。
たぶん、信号機の時間だから、どちらも同じような長さなのだろう。

どうして、こんなに印象に差があるのだろうか。印象というか感覚、認識、がズレるのだろう。
やっぱり、僕の精神状態のせいだろう。気持ち、心の状態、つまりまあ、精神状態。
ある本で読んだことによると、有名なある科学者は、「客観的な時間は存在しない」と言っていたとか。
曲解かもしれないが、時間の流れを感じるのは人だから、その人しだいで時間の長さは左右されることになるのか。

時間の長さ、そして、主観的な「時間」しかないのなら、その時間に深さ重さもを加えるのも、個人しだいということ。それに納得する。

なぜなら、人はいつ死ぬかわからない。 自分の寿命はわからない。一寸先は闇なのだから、その時間のとらえ方は人それそれの尺度としないことには、ある一定まで達しないとなると、 人生の意味もないことになってしまう気がする。

少しばかりの諦めと納得感で、その、おのおのに任せられた時間への感覚で、人生をを生きよう。



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